ロジバンと主語
最近、アラン・クルーズの「言語における意味」を読みかじっているのですが、面白い本です。この本の14章を読んで感じたことを書く。
14.4.1 において、主語を判別する特徴として、
- 独特な形式をもっている(主格とか)
- 動詞と数・人称で一致する
- 等位接続で後ろにくる節で削除できる
- 典型的に文の話題になっている
の4つが挙げられていました。
ロジバンの(この意味での)主語は何だろうか。
上2つからは判別できないのは明らか(格変化も数も人称もない)なので、判別できるとしたら下の2つでしょう。
「等位接続で後ろにくる節で削除できる」かどうか。これはつまり、bridi末端接続によって省略できる部分を調べればいいわけですが、複数個削除できますね:
mi dunda ti do gi'e cmila
私はこれをあなたに与え、(私が)笑う。
mi do prami gi'e pamjai
私はあなたを愛し、(私があなたを)抱きしめる。
1つ目の述語以前の項列を共通化できるので、こういうザマになります。
「典型的に文の話題になっている」かどうか。これは現状判断できません。ただし、強いて言えば、話題部(zo'u部)に上がった項は、意味上、続く節における最初の項であることが多いようです(慣習としてであって、公式ではない)。
現状、述語の前に sumti を1つ置く形の文が圧倒的に多い(いわゆる SVO型)ので、上のことも含めると(慣習的には)述語の前にある項(典型的には x1の項)が主語とみなせるんでしょう。
だからどうしたという話ではありますが。